百年森運動

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百年森運動が始まった理由

1、地域の環境の変化  尾張と三河の境の地で開発が行き届かない場所が多く残されていたところに東名三好ICの建設が行われることになった時、1988年の愛知三好JC(当時)の2回の例会で、自然界の生態系の持つ意味や、自然との共生の重要性を訴える企画をし、一般住民に投げかけたところ、多くの人たちが自然環境の変化に興味があることを確認することができた。そこから、「このまま都市化の波に飲まれるだけでいいだろうか」「JCとして何かこの地域のために、組織の目的を明確にすべきだ」などの会員の意見が表面化し、社会開発(まちづくり)運動に対する気運が高まった。(1989年)  

2、JC組織内の問題  単年度制(1年ごとに各々の役職が変わってしまうこと)における弊害のため、「たった1年の活動の成果を形に残すという形式にとらわれてしまって、本当の意味でのまちづくりはできない、組織そのものが目的を持つべきだ」との声が、会員の中から多く聞かれるようになった。(1989年)


調査・勉強の開始

1987年 4町(当時)の自然環境を調査・勉強
1988年 自然との共存を考えるための映画・劇を一般公開
1989年 4町にメンバーを中心とした「まちづくり」を考える会を発足
1990年 エリア内の実態調査…セスナ機を飛ばして空からの空中撮影
1990年 無作為抽出による住民6,000名を対象にした住民意識調査
1990年 愛知三好青年会議所10周年

「これまでは自己研鑽のみだったが、次の10年は地域の発展充実に大きく貢献できたと思えるようにしたい」
「この地域における愛知三好青年会議所の位置付けを考え、行政及び各諸団体との連絡提携を推進したい」


調査・分析「まちづくり元年」

1991年
・住民意識調査の分析と報告書の作成
・まちづくりに生かせる資産(緑、水辺、歴史、行政計画等)の調査を行い、夢ビジョン「百年森構想」を策定
・2年間の調査・分析結果の集大成を地域に発表「住民意識調査の結果報告」「緑と開発の調和・夢ビジョン『百年森構想』「百年森構想」…尾張と三河の行政区の違う境界線上に帯状に残されている自然環境と、その中の所々に点在する公共性の高い施設を拠点(住民の憩いの場)とし、それらを線で結んだ水と緑と歴史のグリーンベルトを創出しようとするもの。今ある自然環境を百年間守ることができたら「百年後にはすごい資産価値になる」「百年後のこの地に暮らす人に喜んでもらえる」という想いから百年森構想と呼んだ。


百年森構想から運動へ

1992年2月度例会で日本JC直前会頭川島偉良氏より、「百年森構想は、ストーリー(物語)だけ でストラテジー(戦略)がない」と指摘される。

百年森運動の基本理念
『人間回復できるまち』…これまでの経済最優先の社会は様々な行き詰まりを見せており、これからは人間性を復興させる社会づくりを目指す。
『自己実現できるまち』…自然との共生、住民同士の共生などの共生社会、地方分権の受け皿づくりのための人づくりを目指す。

3つの分野の設定
「人と百年森」 … 「新たな心づくり」を課題として、主に「ひとづくり」に取り組む。
「都市と百年森」…「緑を生かした都市(まち)づくり」を課題とし、百年森運動の発端となった「百年森構想」の実現を図る。
「社会と百年森」…「新たなシステムづくり」を課題として、主に住民参加型のまちづくりを目指す「市民会議づくり」に取り組む。

上記のことはJCだけではとてもできず、実現するためには、「住民の共感を得る」「自分たちのこ とは自分たちでという住民の意識の芽生えが必要」「私たちの声が行政に届くような社会システムの構 築が必要」であり、これらのことがスパイラル状に絡み合って「明るい豊かな社会」を目指す運動の総 称」を百年森運動と呼ぶようになった。


百年森宣言

1995年は、「百年森アクションプログラム」によると、中間評価の年であり、これまでの検証を 行った。その結果、「百年森宣言」を採択し、創立15周年記念式典の場において地域に発表した。

百年森宣言…「私たち愛知三好青年会議所は『あなたにとってふるさととは…人間回復・自己実 現できるまち』の実現をめざし、この地域の百年先(みらい)を見つめ、この地域に根ざしたま ちづくり運動を提案・実行することを誓う」
※愛知三好青年会議所は現在は愛知中央青年会議所

基本理念…「あなたにとってふるさととは…人間回復・自己実現できるまち」
目的…「基本理念の実現を目指し、この地域の百年先を見据え、この地域に根ざしたまちづくり運動を提案・実行すること」
意味…「『百年』は、百年先、未来、将来を表し、『森』は尾張と三河の境で開発地域でありながらも比較的自然環境の豊富なこの地域の特色を表す。」
発端…東名三好ICの開発計画に端を発したJCのまちづくり運動の意識の高揚による組織内部の問題点の克服と全会員の意識改革によるJCの目的づくりを行うとともに、このまま都市化の波に飲まれるのではなく、また、あるがままの自然をただ全部残すというのでもなく、「緑と開発の調和」を考えながら百年後の子供たちにきっと喜んでもらえるまちを残そうとの想いから始まる。


百年森宣言の具体的な継続事業の開発

「もっと百年森運動を地域にPRしたい」「市民ネットワークづくりの強化を図り愛知池を中心とす る百年森構想の実現化を目指したい」との想いから、具体的な継続事業を開発。(1996年~)

「ノーマライゼーション運動会」の企画・設営…障害者と健常者とが共に助け合いながらゲームを楽 しむことにより、これまで私たちと障害者との間にあった見えない垣根が取り払われ、まさに百年森運 動の理念と、百年森運動が目指す市民共生社会へ一歩近いた。


「地域に根ざしたまちづくり」を行うために

一市三町の広域的なまちづくりを考える団体としてふさわしい名称として、2000年6月20日、 創立20周年記念式典と共に、(社)愛知三好青年会議所→(社)愛知中央青年会議所に名称変更を行 った。


ノーマライゼーション運動会の運営移管

1996年から毎年ノーマライゼーション運動会は開催されたが、回を重ね問題点が明確になった。  その主たる原因は、金銭面・人材面での青年会議所中心の設営にあり、市民団体が事業の日だけ参加 していたために、百年森運動も理解されにくく、基本理念も達成されにくい環境になっていた。そこで1999年より市民団体の代表・地域住民・問う青年会議所メンバーによる企画会議、また、2001年より、ノーマライゼーション運動会実行委員会を立ち上げ、市民団体も運動会で行う種目を考えたり、運動会当日に市民団体の活動発表する計画を出したりするなど、主体的に行動できるようになり、基本理念の達成に向けて動き出した。そして、2002年には、大学の先生や学生、過去に運動会の当日参加者だった方が設営側として参加するなど、実行委員会のメンバーが多様化して意識が高まった。また、ノーマライゼーション運動会も地域社会に定着して、運営の協賛金を実行委員会の力で集めることが可能となり、青年会議所の捻出する事業費はわずかなものとなった。2003年には全て実行委員会の集めた予算にて運動会が行われ、運営移管された。



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